幼いころから押絵羽子板づくりを手伝いながら育ってきたという『きじや水門商店』の5代目水門俊裕は、他にはできない難しい仕事がまわってくるという腕利きだ。
仕事ができる職人には、気さくで親切だが、寡黙な人が多い。そんな中で、組合の広報も務める水門は、異色の能弁さが持ち味だ。歳末の羽子板市では、題材となった物語を丁寧に解説し、喜ばれているという。
そんな彼には、ふたつの大切にしていることがある。
ひとつは、伝統工芸の技術を残すこと。もうひとつは、歴史や故事の背景を学び、理解したうえで作ることだ。
水門は、紙を切るのに市販のカッターを使っても構わないし、本来は本絹のところをポリエステルで代用するのもやむを得ないと言う。
技術を磨くには数を作る必要があるが、刃物の研ぎ方ひとつを覚えるにも年数がかかるし、古典的な材料には値が張るものも多い。道具や材料にこだわるあまり、伝統工芸の技術を習得できる量の仕事ができなくては、本末転倒だ。
使われる素材や道具には、それぞれ意味がある。そのことを理解したうえで、必要に応じて現代のものに置き換えていけばいい。
それが水門の考え方だ。
押絵羽子板をはじめとする節句人形などの伝統工芸は、髪形や着物の模様、背景の色ひとつで、その人の年代や職業、置かれている時間や状況までもが表現されている。
若いほどに月代(さかやき)は青く、年を取るにしたがって茶色くなる。だから提灯をもつ30代前半の幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)の月代は青く、年配である加藤清正の月代は、肌の色と変わらない。
『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』に登場する三つ子の松王丸、梅王丸、桜丸は、着物の松梅桜の柄で誰かと知れる。身代わりに差し出した子の首を検分する松王丸の着物には、雪がかかって頭が下がった松が描かれ、悲しい情景であることを表している。
作り手がそんな故事来歴を知らずにいては、伝統工芸は崩れてしまう。見る側に知識がないと、本来の魅力を十分に味わいきれない。だから、歴史や故事の背景を学ぶことは大切だと考える。
そんな持論を持つ水門は、自分はまだまだひよっこで、明日はもっとうまくなりたいと、丁寧にひとつひとつの仕事を重ねていると語る。そして、見る人を感動させ、同業者がどうやって作ったのかと首をひねるようなものづくりを目指して、日々研鑽に努めている。
水門商店
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水門 俊裕
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