TOKYO Teshigoto
2018.02.27

江戸後期から激動の時代を経て、 現代へと続く「江戸切子の歴史」

東京手仕事のルーツに迫る


ペリー提督・横浜上陸の図(横浜開港資料館所蔵)

ペリー提督を驚かせた、
加賀屋のカットガラス。

“泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四杯で夜も眠れず”。
ペリー率いる蒸気船4隻が浦賀沖に現れたのは、1853年(嘉永6年)のこと。冒頭の狂歌は、慌てふためく幕府を皮肉ったものとしてよく知られている。ところが鎖国下の日本を慌てさせたペリー提督自身が、実は我が国の「切子」技術に驚嘆していたという逸話がある。その切子(カットグラス)を手がけたのは、江戸大伝馬町でギヤマン問屋を営んでいた、加賀屋久兵衛(かがや・きゅうべえ)。ガラス瓶に切子を施し献上したところ、このような技術が日本にあると想像もしなかったペリー提督が驚き、その技術を称賛したのだと言う。
江戸でつくられた切子の始まりには諸説あるが、「日本近世窯業史」によると先述の加賀屋の手代・文次郎が大阪で修行を積み、ペリー来航前の1834年(天保5年)には、金剛砂(こんごうしゃ・ざくろ石を粉末にしたもの)を用いて切子を施すことを試みたとされている。1830年〜1854年のものと推定される、再版された加賀屋の引札(ひきふだ・包装紙を兼ねたカタログチラシ)には、銘酒瓶、脚付きコップ、文具揃など切子の商品が多数描かれている。そして1846年(弘化3年)、薩摩藩主・島津斉興が江戸の硝子工人・四本亀次郎を招聘したことで、江戸の切子技術は薩摩へと伝えられる。


加賀屋引札 再版(個人蔵)

品川硝子製作所に学んだ、
伝習生が江戸切子の道を拓く。

1877年(明治10年)、政府は殖産興業を促進するため「工芸の進歩を助け物産貿易の利源を開かしむる」ことを目的に、第一回内国勧業博覧会を東京上野公園で開催する。これに先立つ1876年(明治9年)には、品川にあった硝子製作所を買い上げ官営「品川硝子製作所」とし、ここに技師を雇い入れて洋式の硝子製造法の指導にあたらせた。1879年(明治12年)にはイギリス人技師、ゼームス・スピードの指導で食器の製造も試みられている。そしてその2年後に招聘されたイギリス人技師のエマニエル・ホープトマンが、切子やグラヴィエールの技法を多くの伝習生に伝えていくこととなる。品川硝子製作所に学んだ伝習生の数は70数名に及ぶが、現在、江戸切子に携わる職人のルーツをたどると、その多くがこの伝習生に辿り着くという。
1923年(大正12年)創業の「株式会社清水硝子」の初代・清水直次郎氏も、伝習生の一人「今村仁之助」に師事した。現在、三代目として社長を務める清水三千代氏にお話しをうかがった。


株式会社清水硝子 初代・清水直次郎氏(昭和12〜13年頃)


株式会社清水硝子 社長・清水三千代氏(三代目)


取材時に見せていただいた、昭和30年発足の江戸切子協同組合(旧・東京カットグラス工業協同組合)の組合史などの貴重な資料。江戸切子の歴史などにも言及している。

時代の荒波に揉まれ、
今の清水硝子がある。

「清水硝子の歴史は、大正12年に祖父母にあたる初代・清水直次郎と静江が、深川に開業して始まります。戦時中は航空機の窓硝子の加工や軍艦のマストなどの仕事もしていたそうです。戦後すぐはコカ・コーラの瓶を半分に切り、磨いてコップにする仕事をしたこともあったと聞いています。物のない時代ですから、そのようなコップでも飛ぶように売れたそうです。マッカーサー元帥やアメリカ軍が日本に進駐すると、洋食器、ワイングラス、各種様々なグラスの大量需要が生まれました。この昭和23年頃、清水硝子は保谷ガラス(後のHOYA)の取引先となり、事業拡張のため現在の葛飾の地に移ってきました」。
保谷ガラスの傘下では、宮内庁に納める仕事もしたそう。しかし平成に入ると50年近く続いた仕事にも陰りが見え始める。
「平成の不況下に仕事が減り、これまでの加工の下請けという業態から大きく方向転換をしなくてはならなくなりました。自社オリジナルの江戸切子を製作し、平成10年には自社のホームページで直販を開始します」。
多くの従業員を抱えながら、清水硝子は大きく舵を切って時代の流れに乗ろうとする。潮目が変わったのが、平成24年に開業した東京スカイツリーに納める江戸切子のディスプレー制作に携わってから。多くの人の目に江戸切子がさらされ、メディアで取り上げられるようになると問合せも増え、引き出物などの特注品などの受注も増えてくる。芸能人の結婚式の引き出物、Jリーグチームの記念品など、ニュースで見たことのある切子で清水硝子が手がけたものは多い。


現在9名の職人が働く清水硝子の工房。職人の年齢は20代から80代までと幅広い。この日はインターンシップの学生も加わっていた。

ベテランから若手へ技は継がれ、
新しい江戸切子が生まれている。

創業から94年を経た清水硝子の工房には、経験を積んだベテラン職人だけでなく、20代、30代の若手もいる。変わる市場のニーズを捉えたオリジナルの江戸切子づくりを若手とともに、という思いが社長の胸にはある。一人の女性職人が手がけていたのは、デザイナーとコラボして製作した「歌舞切子」。歌舞伎の荒事特有の化粧「隈取(くまどり)」をデザインにとりいれたもので、「東京手仕事」の2016年度支援商品として採択されたものだ。
時代の荒波に揉まれながら、たくましく生き残ってきた江戸切子。その陰には、苦労しながら伝統の技術を守り発展させてきた、清水硝子を始めとする工房、職人たちがいる。これからも時代は変わり、人々のニーズも変わるだろう。しかし、江戸っ子たちを魅了した時と変わらない輝きで、これからも江戸切子は手にした人々の心を躍らせていくに違いない。


「歌舞切子」を手にする若手女性職人。


大正12年の創業から94年を経た清水硝子。左から長男の祐一郎氏、社長の三千代氏、そして最近加わった三男の伸彦氏。


清水硝子の工房にはショールームを兼ねた打合せスペースがある。特注品のオーダーにも応じている。