TOKYO Teshigoto
2019.06.18

発祥から100年。村山大島紬が紡いできた歴史とこれから。

東京手仕事のルーツに迫る

技術の融合から誕生。一世を風靡した紬絣。

東京都と埼玉県の境に広がる、自然豊かな狭山丘陵。その南麓の村山地域は、江戸時代から木綿紺絣(もめんこんがすり)の産地として知られていた。「村山絣」あるいは「所沢絣」の名で呼ばれていた木綿紺絣は、1919(大正8)年頃に群馬県伊勢崎市から「板締染色」の技術が導入されると、絹織物となり盛んに作られるようになる。その当時の呼び名は、伊勢崎から銘仙技術を導入したこと、また“本場大島紬に匹敵する織物”との評判から「銘仙絣」または「大島絣」であった。「武蔵村山市史 下巻」には、「大正末から昭和前期へと続く販路の拡大にともない、村山大島紬と呼ばれるようになった」とあり、次第に「村山大島紬」の名前が定着していったものと思われる。生産量のピークもこの頃で、1934(昭和9)年には、46万反を生産している。第二のピークは、織物業界全体に「糸へん景気」が到来した1950(昭和25)年で、前年4万9千反だった生産量は、14万8千反に急進した。当時は呉服屋の店頭にウールの着物と村山大島紬のアンサンブルが並び、「作れば売れる」という市場に生産現場は活況を呈した。


織り上がった村山大島紬の反物。緻密なかすり模様を、すべて手作業で生み出す。生地に艶とハリがあるのが特長。

国に続き東京都が、伝統工芸品に指定。

「村山大島紬」は1975(昭和50)年に国の伝統工芸品に、1982(昭和57)年には東京都の伝統工芸品に指定される。国に指定された際の告示は、次のようになっている。

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[伝統的な技術または技法]
1.次の技術または技法により製織されたかすり織物とすること
(一)先染めの平織りとすること
(二)かすり糸は、たて糸及びよこ糸に用いること
(三)たて糸のかすりとよこ糸のかすりとを手作業により柄合わせし、かすり模様を織り出すこと

2.かすり糸の染色法は、「板締め」によること
[伝統的に使用されてきた原材料]
使用する糸は、生糸とすること******************************************************************

つまり「村山大島紬」は、伊勢崎からもたらされた「板締染色」で先染めした絹糸を、手織りする紬絣である。全工程は細分化すると40工程に及び、まさに気の遠くなるような手仕事を経て生み出されている。その工程で使用する資料や道具の一部を、村山大島紬の工房・田房染織・四代目、田村剛章氏に見せていただいた。


田房染織の工房。1914(大正3)年の創業時の柱がいちばん古い柱だそう。


田房染織・四代目の田代剛章(たしろ・たけあき)氏。

方眼紙に図柄を描き、板屋が絣板を作る。

まず見せていただいたのは、古いノート。所々に方眼紙が貼ってあり、方眼紙の小さなマス目に「十」字が記され、それが絣模様を形作っている。これが図案で、かつてはこれを元に板屋(いたや)と呼ばれた職人が、樹齢70〜100年の水目桜の板に溝を彫り「絣板」を製作していた。残念ながら職人はもういないが、一般的に絣板は経(たて)、緯(よこ)あわせて150枚ほどが必要となるという。

方眼紙に緻密なかすり模様が描かれている古いノート。


作る職人がいなくなったため貴重となった絣板。この板に絹糸を渡して別の板で挟んでいく。溝に染料が入り込むことで、その部分が染まる。


何枚も重ねられた絣板。

絹織物の魅力を引き出す板締染色。

精錬した生糸を必要な長さや本数を揃えて「整経(せいけい)」した後、絹糸を絣板に一枚一枚挟み込む「板巻・板積み」を行う。板積みしたものをボルトで締め付け、染料を流し込み「板締め注入染色」を行う。この時、板と板にしっかりと挟まれたところには染料が染みこまず、溝になった部分からは染料が染みこむため染まる。これが、「板締染色」の原理だ。本場大島紬の工程よりも簡略した工程で絣糸を染めることで、「板締染色」は、大量生産を可能にした。それだけでなく、この工程が本場大島紬などよりも絹糸に負荷をかけないため、村山大島紬は艶やハリが特徴的な絹織物となっている。


田房染織の「染め場」。「船(ふね)」と呼ばれる流し台の上に、ボルトで固定した絣板を置き、染料を流し込む。

染色を終えた糸を、機に架け織る。

板締め注入染色では一色しか染められない。他の色をつけたい場合は、染め上がった絣糸を分けて縛り、図案に照らし合わせながら「へら」で染料をすり込んでいく「すり込み捺染(なっせん)」の工程を経る。糸の染色を終えたら、経(たて)糸は経絣糸と地糸を合わせながら「お巻き」に巻き取る。巻き取った経(たて)糸を「綜(そう)こう」、「筬(おさ)」という道具や機(はた)の装置に通し、織機に架ける。織りながら一本一本絣を正確に合わせながら、図案通りに織り上げていく。


「すり込み捺染」を説明する資料。竹べらに木綿糸を絡めたもので染料をすり込み染める。

「板締染色」で染めたかすり糸(緯絣糸)。


緯絣糸は20本ずつ束にして染められるため、1本ずつに分けていく。「杼(ひ)がすり返し」という工程。


筬(おさ)という道具。細かい隙間に経糸を1200本通して使う。機織りの道具に糸を架け、機を織れる状態にするまでも、多くの時間を要する。

手間のかかる絣紬だから愛着も湧く。

村山大島紬の製作工程は、とても短時間の取材では語り尽くせない。かつては分業体制があり糸巻き専門の職人などもいたそうだが、いま田房染織ではすべての工程を手がけている。大変ではないかと尋ねてみたが、返ってきた答えは「手間をかけて作ったものだから、いいものになる」。そして「ものづくりは、楽しい」とも。発祥から急成長期を経て、いま作り手は数軒となった村山大島紬だが、ものづくりへの思いは変わっていない。そして、反物だけでなく今の暮らしに添う様々な絹織物製品が生み出され、変わらぬ魅力“艶とハリ”を後世へ伝えていこうとしている。
(参考資料:編集 武蔵村山市教育委員会/平成19年10月発行『平成19年度特別展 村山大島紬〜都無形文化財指定40周年記念〜』)


村山大島紬は渋い色調が多いが、田村染織では鮮やかな糸も染めて現代のニーズに合った織物を手がけている。